■8 「疾走」
今だから言う。 私は、不幸だ。
何年も、何年も、ずっと目を背け続けていた事実だが、私は不幸なのだ。なんという不運。なんてところに産まれてきたのだろう。
左手に握り締めた見知らぬ女子生徒の右手。お互いの汗で、じっとり濡れている。 時々息がきれ立ち止まろうとする彼女の手を強引に引っ張り、ギラギラと輝く太陽の下、走り続ける。 女子生徒は、時々か細い、悲鳴にちかい声を上げる。「もぅこれ以上走れない」と、いわんばかりに。 私といえば、ただ髪をふりまわし、視点は常に足元を見て、がむしゃらに走っている。私だって「もぅこれ以上走れない」。
だが、走らなければいけない。
悪霊が体育館を襲った。入学式の最中にだ。私の、高校生活の初日に、一番見たくないものを見てしまった。 私は逃げ惑う生徒達、立ち向かおうとする男子、怯える父兄達、泣き叫びパニックになる女子、鈍い金属音を放ちぶつかり合う パイプ椅子を横目に比較的早く体育館の外へ出た。西側の出口近くに座っており、真っ先に教師に先導されたからだ。
体育館をパニックのまま飛び出ると、他の出口からも沢山人が逃げ出す様をぼんやり見ていた。 教師はグラウンドの真ん中あたりへ生徒や父兄達を集めていた。 人が、走る、走る。悲鳴と怒号が私の横を通り過ぎていく。体育館からは悲鳴だけが響いていた。 私は、足を止めていた。その場から動けなかった。
「なにしてるのっ!はやく、はやくっ!」銀フチのメガネをかけたショートカットの女子生徒が私の腕を掴む。 最早まともな言葉も出ない程彼女はパニックに落ちていた。「いいです」そぅ静かに答えると 「なにがいいのっ!あれは悪霊っていうの!みんな逃げなきゃいけないの!!!!」 精一杯の力で私の二の腕を引っ張る。 思わず体が傾き、私はバランスを崩し地面に腰を落としてしまった。
女子生徒は、明らかに「チッ」っと舌打ちをし、私の二の腕と肩をより一層強く握った。 その時の私にとって、逃げる事がどういう事なのか、判断がついていなかった。彼女が口にした「悪霊」という言葉が さらに私の頭を真っ白にした。
耳鳴りがする。意識が遠のいていく。すべて、どうでもいいような気すらした。 「悪霊」を清め、消し去る事を生業とする家に生まれた。それは紛れもない事実。そして私もその「悪霊駆除/悪霊浄化」の 道に進まなければいけない。おじいさまにも、おかあさまにも、おとうさまにも、何度も話された事だ。 だが、私は、嫌だ。悪霊駆除とか、国家指定の仕事とか、霊とか、私個人には何の興味もない。その為の力すらない。
私は、小学生の頃、電車通学の中、異臭と人々の息の中、まるでプレスにかけられるようにぎゅうぎゅうに押し込められ、 一人感じていた。きっと、こうまでしてあの学校に行かせるのは私に悪霊駆除の道へ進ませるためなのだと。 身動き一つできない電車の中、初めて親が私にかける期待に気付いた。なぜ、近くの、お友達のいる学校に行っちゃいけないの? なぜ、みんなと違って私だけ学校で、おうちで御霊様のお勉強をしなければいけないの? ずっと、理解できぬまま無力の私は黙って親の言いなりになってきたが、その瞬間、全て解したのだ。 私と、みんなは、ちがう。 お正月、朴修(瀬尾家の隔月の行事)の日、山口の瀬尾のおうちへ行く時、おうち(瀬尾一門)の お兄様達にその都度「加奈子ぉ、お清め、できるようになったかぁ?」と言われていた。
お友達に、「おきよめ、できる?」と聞くと、みんな不思議そうな顔をしていた。いつからか、お友達から避けられるようになった。
これまでの、よく分からない現象。世間とは一線を置いた思考。通じない言葉。異端である事に気付けなかった自分。 すべて、瀬尾一門、高志紀家の家に産まれた事に起因しているのだ。それが全ての原因だったのだ。 それに気付いて、疑問を持ち始めても、私は大好きなおじいさま、おかあさま達の言葉を「うん。うん。」と聞くしかなかった。 「なんで、ウチはこんな仕事を持ってるの?私こんなのいやだ。」「おきよめさん(除霊師)になりたくない」 そぅ口に出すと、決まっておじいさまやおかあさま達は悲しい顔をした。私はその顔を見ると、その倍、悲しくなった。 淡々と、「なぜ、この家が除霊をしなければいけないのか」を説かれる。お定まりのパターンだ。 その話の中に、私を納得させる言葉はなかった。
中学2年生くらいには、私は自分を「不幸」だと思い始めた。あぁ、どれだけ話をしても、きっとこの家は永久に除霊師の 家なんだ。永久に異端なのだ。だから、私も異端であるべきなのだ、と。悟った。 悟ったが、納得できるわけがない。出来る事なら、出来る事なら今すぐ、おじいさまとおかあさまとおとうさまと私だけ 瀬尾一門から破門され、つつましく小さなマンションの中で暮らしたい。あたりまえの家族でありたい。 それは私にとって小さな欲求ではない。今や私の全身を包み、その事を考えると体中が熱くなり、思わず涙が出てくる。
私は、心の中で叫び続けた。泣き続けた。
どうか!!!!!!
どうか!!!!!!!!!!!!!!
瀬尾さん!!!!!わたしの家族を返して!!!!
わたしにとっての、あたりまえの生活を!!!!!!!どうか!!!!!!!!!
しばしの、平穏の時が訪れた。中学三年の頃。家族は、除霊に関する事を私に一言も言わなくなった。 それはどこか見捨てられたような感もあり、一層心苦しくなったが、家族と当たり前の話で談笑したり、学校の友達と ドラマの話をしたり、新しく出たブランドの長財布を、買えないくせに語り合ったりする、そんな日々に私は安堵した。 あの子が誰彼を好きらしいとか、誰彼が感じ悪いとか、近所に出来たパーラーのなんていうケーキがおいしいとか、 そこのオヤジがいやらしい目で見てくるとか・・。そしてまた、こんな話をしてた、って家に帰っておかあさまとお茶を飲みながら 話し、夜はおじいさまと野球中継を見ながら団子食べたり、しずかに縁側で寝てみたり。
前後して、私は誠児先輩と出会った。いとこだ、って聞いた時のショックは計り知れない。 大嫌い、と断言してしまう、瀬尾一門。彼がその中の一人だという事に、なにか策略とも取れるほど強い「除霊家」の臭いがした。 鼻をツーンとさせるような嫌な予感。大切なものを、また瀬尾一家、除霊師に持っていかれる、そんな最悪の予感。
正直に言おう。私はすでに、瀬尾一門から見放されたと思っていた。私には、普通の人生を歩ませてくれるのだと。 そして、何も話さない親達は、きっと、そんな周りの環境から私を守ってくれるようになったのだと。 だが、違った。尊敬すべき、、、いや、「いっしょにいたい」と私が願った人は、「できそこないの、除霊師」だった。 全てが策略なのでは、とすら思った。思ったが、もしそれが事実ならば、背筋も凍るような恐ろしい話だ。 そこまでして、私に除霊の道へ進ませようとしているのか。親子の縁を切った娘の、その息子をダシにつかい、私を 何がなんでも倉北高校に進ませようとしているのならば。
・・・
冷静に考えてみれば、それは、ありえない話だ。学校で誠児先輩に勝手に興味を持ったのは私だ。 ましてや、私が誠児先輩に対して「いっしょにいたい」という淡い感情を持つ事をだれが画策したというのだ。 普通ならば、ある日見知らぬ男性が家に来て、「いとこだよ。実は同じ学校だよ」「ふーんよろしく」 「誠児君は倉北へ入学するよ。悪霊が多いから。」「がんばってー」で済む話ではないか。 また、誠児先輩も、佐江子おばさんも除霊の話は一切してこない。多少はしても良かったのだが、やはり気を使われていたのだろうか。
そうやって、ずっと目を背け、自分の世界に没頭し、一年間過ごしてきた。 四月の、とある朝。私は再び現実に引き戻された。入学式に一緒に行ってくれるという誠児先輩の隣には、 瀬尾一門、現当主の弟、瀬尾都紀がいたのだ。
そして、数時間後、私は自分が「不幸」であることを思い出したのだ。 都紀と再会してからずっとつきまとった「嫌な予感」がこんなにも早く確信に至るとは思ってもみなかった。 しかも、私は混乱している。どうしていいのかわからない。しかし、どうしたいのか、が自分の中に溢れてきて、 二つの感情がぶつかりあう。瀬尾一門の悪霊お清めの道に背いていたいのに、このまま、体育館の外から逃げ続けるわけには いかない気がした。今すぐ、体育館に乗り込み、悲鳴を上げる人々を助け出したいのだ。 悪霊が出てきたら、一目散に逃げるのが「普通」の私だ。こんな所で立ちすくんでいる場合じゃない。 普通の道を行こうとする私が、なぜ、こんなにも体育館に逆戻りしたいと考えているのか。
「はやく!!!」 痛いほどに、女子生徒が私の肩を掴む。ひっぱろうとする。あぁもぅ、私の事はほっといて、早く逃げてよ。 ただでさえ混乱しているのに、煩わしいったらない。 悪霊が一体、二体と体育館の中から飛び出した。出口から悪霊が頭に付いたか細い男子生徒が出てきた。記憶を吸われている。 私は、ふと正気に戻り、女子生徒の顔を見上げる。 「いいですから、私の事はほっといて、先逃げてください!」 女子生徒は鋭い表情で、「そういうわけにはいかないのよっ!!あなたも連れていかないとっ!!」と叫んだ。 「なんでっ!!!!???」
「私生徒会だからっ!!有事の際にはみんなを先導しなければいけない役割なのよ!!」
「だから早く立って!!立ってよ!!重いのよ!!!」
「ほっとくわけにはいかないの!!悪霊駆除委員会の人達が戦ってる間、私達が誘導しなきゃ!!立ってよ!!早く!!」
・・・役割?
女子生徒の声が私の中で響く。「うわっうわっ」悪霊が頭についた男子生徒が悲鳴をあげながら倒れる。 私は次の瞬間、女子生徒の腕を振りほどき、すくっと立った。 「!?」
役割・・
その一言が、私を再度正気にさせた。この、異常な現象の中、瀬尾一門でもない、全く関係ない彼女は 「悪霊から人々を逃げさせる」という役割を担っている。 あの強く掴む力は、その役割がそうさせていたのだ。彼女は、「こんなのもういや!!」とヒステリックになるでもなく 真剣に私の肩を掴んだ。
そして、少しでも悪霊に抗う力を持った私が、その力に甘えていたのだ。
じゃぁ、今、私の役割って、何???
体育館の中から、誠児先輩の声が響いた。
「倉北高校、悪霊駆除委員会ぃぃぃ!!!!!!!!行くぞぉぉぉ!!!!!!!!」
まるで、今の私に、的確に問いかけてくるような、タイミング。私の迷いを、吹き飛ばすような、こえ。
今だから言う。 私は、不幸だ。
一年近く、ずっと目を背け続けていた事実だが、私は不幸なのだ。なんという不運。なんてところに産まれてきたのだろう。
結局、私は悪霊駆除のステージに今立っている。やはり、まんまとしてやられたのかもしれない。策略かもしれない。 何が何でも、私におきよめさんの道を歩ませようという瀬尾一門のワナだったのかもしれない。 けれど、今、私に迷いはない。迷えない。だって、今、私はこんなに、あの声の元へ行きたいと思っている。 彼女が自分の役割を自覚し、私の腕を引っ張るように、私も・・・・・・・・・・
「大丈夫だから。」私はスカートをぱんぱんと叩き、土を払った。「なにが!?」彼女が迫る。 表情が緩む。今日、始めて笑った気がする。穏やかな気持ちになれた気がした。笑顔で、
「私、悪霊駆除委員会の者です」と答えた。
嘘だけどっ!!!!あははははは
呆然と立ちすくむ彼女を尻目に、私は体育館の中へと走った。
走れ!走れ!走れ!走れ!走れ!走れ!走れ!走れ!走れ! 体育館の中に入ると、まだ数名父兄達が残されていた。私は、自分の役割を自覚し、女性の腕を引っ張った。 目の前で、都紀がパイプ椅子の森の中、呪符をふりかざし悪霊と対峙している。こっちに気付いても何も言わない。 大っきらいな瀬尾家、その息子、都紀。しかし、彼にも彼の役割がある。真摯に受け止め、こうして戦っている。
私は、都紀のようには戦えない。除霊の力は、結局私には実らなかったのだ。 今考えれば、もし私に除霊の力が芽生え、その役割にアイデンティティーを見出せば、もぅ少し違う考え方を持って いたのかもしれない。 自覚はなかったが、子供の頃の私は実らない除霊能力をコンプレックスに感じ、それが反抗心に繋がったのか、とすら思えた。 一瞬、そんな事を都紀の背中を見て感じた。しかし、抜群の除霊能力を持つ都紀の背中もまた、どこか悲しげであった。
「お前はお前の役割を」そぅ訴えかける都紀の背中は、私の力になった。女性の腕を引き、また走りだす。
悪霊が発生して、5分後。体育館に三度戻った私は、パイプ椅子に足を引っ掛け、転倒してしまっていた女子生徒を見つけた。 バットを持ったまた別の女子生徒が凄い勢いで暴れている。 転倒していた女子生徒の腕を自らの肩に担ぎ、逃げ出した私達は、グラウンド目指して走りだした。 私は、もぅ冷静に何か思案する余裕すらなかった。 グラウンド中央に生徒や父兄が集まり、遠巻きに体育館の方を見たり、記憶を失われ、眠った人々の救護に当たっていた。 離れた場所からでも気付く程、生徒達はまだパニック状態で、教師達は必死に彼らを引率していた。 「おちつけー!!すわれー!!」 そんな声だけが、耳に届く。まともに顔も見ていない女子生徒の腕をひっぱり、走るだけだ。
体育館からグラウンド中央までは何も障害物もない。ひたすらグラウンドを走る。中央を目指すだけだ。 誠児先輩は、都紀は、どうしているのだろう。できれば、早く倒して欲しい!!!!
次の瞬間、ドォォォォォォン!!!!!ともの凄い地響がした。「!?」女子生徒共々転倒する。
障害物も何もなかったはずのグラウンドに、私の目の前に、大きな物体が存在していた。暗い影を落とす。 女子生徒を庇い、上になってかぶさっていた私は、ぐっ、とその物体をにらむ。 攻撃的はフォルム。常識ではありえない巨大な生物のようなもの。
「いつのまに・・・・・・・・」それ異常、何もいえなかった。足がガタガタと震える。
記憶を吸った悪霊達は、私達が逃げ惑っている間に一つに合体し、巨大な生物(のような、実体を持った霊魂) 「無元悪霊魂」へと変貌していた。(むがんあくりょうこん)
オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!!! 首を振り、無元悪霊魂はひどい声を上げた。
「加奈子ちゃん!!!」
グラウンド中央で、その姿を見て再びパニックになる生徒、父兄、教師達。「キャァァァ!!」「うわぁぁぁぁ!!」 もぅ、うるさい。今、ふと聞こえた誠児先輩の声がどこから聞こえたか突き止めたいのに。
「加奈子ちゃん!!」
夢かと思った。
グラウンドに接する位置に建つ校舎の二階の窓から、誠児先輩が飛び降りる姿を見た。 日本刀を強く握り、無元悪霊魂の元へ飛び降り、攻撃をしかけてようとしているその人は、やはり、私のヒーローだった。
「あっ!!いたいた!!あれだよ!加奈子って!」 背後から聞こえる、やたら幼い声の男。その無神経な声にも一瞬「ホッ」とした私。 今、誠児先輩と、都紀に囲まれている現状が、とてつもなく私を安心させる。嫌だけど、きっと私にとってあいつもヒーローなのだ。
「もぅ、大丈夫」顔を上げた女子生徒に、私はそっと、笑顔でそう言った。
(高志紀 加奈子)
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